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限界を超えたい時は「べき論」を捨てる覚悟を決める

人間というのは限界を超える必要がある時がある。どうしてもやり遂げなければならない時やどう足掻いたとしても突き抜けなければならない時がある。そのような時に「○○すべき」「こうあるべき」「そうあるべき」等の「べき論」があると限界を突破することができなくなる。限界を超えるという覚悟を持つ時というのは一般的には「無理をする」ということだ。無理をする時がずっと続く、無理をする時がずっと続いているという状態は限界を超えるということと大きく異なるという前提条件はある。限界を超えるというのは、平常時の状態、平常時の考え方や行動では「ひと山」を超えることができないので「無理をする」という考え方や行動をすることを意味する。「べき論」があるとなぜ限界を超えることができないのか。「○○すべき」「こうあるべき」「そうあるべき」等の「べき論」というのは誰かが決めたことなのではないか?という疑問が1つ。解法に至るアプローチは数多あるなかで「べき論」という唯一無二の方法を提示する理由はなぜか?という疑問が1つ。「みんなと同じことをやるべき」「みんながやっている一般的なことをやるべき」等の文言があるように、環境や状況が「みんな同じ」であるかのように思い「べき論」を提示する理由はなぜか?という疑問が1つ。これら3つの疑問に対する答えがあれば「限界を超える」または「無理をする」時に柔軟な発想や行動が行いやすくなると経験から思うのだ。

人は誰もが「無理をする」ことを避けたがる。当たり前だ。無理をしてまで得られる成果が期待はずれだった場合を考えるからだ。無理をするくらいなら当たり障りのない範囲で出来ることをやって期待できる成果を得た方が良い。しかし、時として「限界を超える」必要に迫られる。「あぁ〜もう!」と叫びたくなる気持ちとでもいえば誰もが経験したことはあるだろう。「避けられない状況」とでも言い替えることができよう。人によっては「避けられない状況にならない為に普段から努力しろよ」や「避けられない状況を招いた自己責任だろ」と言いたい人もいるだろう。ただ、「避けられない状況」というのは人によって起こる出来事等が異なるという前提条件がある。予測の範囲内であればまだ精神的には余裕があるだろうが、予測の範囲外、不意打ち的な状況が発生した場合はどうだろうか。精神的な余裕は一気に失われるのではないだろうか。そういう時に「限界を超える」という覚悟が必要になる。「なぜ俺がやらないといけないの?」「なぜ私がやらないといけないの?」等と嘆いていても一切解決には向かうという道すら現れない状況の時に「限界を超える」覚悟を持つ必要がでてくる。さて、このような状況に際し「べき論」があるとどうなるのかを考える。予想外や例外が発生した以上、本来であれば予想外や例外として対応する考え方や行動を用いて対処する必要に迫られる。しかし、「べき論」で対応しようとすると「べき論」の範疇での対処となる。予想外や例外に対して一般的に云われている「べき論」で対処することができるのだろうか。考え方としては次のようになる。「いくら無理をしても得られる成果は少ない。だったら一般的な方法で対処して事なきを得よう。」このような考え方で予想外や例外が上手く抑えることができるのだろうか。具体的な例を挙げるとするなら、例えばだが「お願いする」ということが苦手な人がいるとしよう。自分ひとりではニッチもサッチもいかない、自分ひとりで対処すること自体に限界があるとわかっている予想外の出来事や例外が発生した時を想像してみてほしい。「お願いします。助けてください!」と言えるのか否か。「お願いする」ということが苦手である人にとっては「限界を超える」ことにならないだろうか。そんな時に「べき論」が頭をもたげるとどうなるだろうか。「自己責任だろ」「自分が蒔いた種だ。自分で刈り取れ。」等の意見、一般的に「良し」とされている考え方や「べき論」を提示された場合や自分自身でそう思い込んでしまった場合、この人は「限界を超える」ことができるだろうか。

平常時における「べき論」というのは一般的に共有する常識として用いられる概念である。持ってて当たり前、知ってて当たり前である。これには筆者も同意する。しかし、予想外の出来事や例外に対処しなければならない状況に「限界を超える」という覚悟を持って対処するのも時に必要となる。このような「限界を超える」という覚悟を持つ必要がある時に、個々人が少なくとも1つや2つ持っているであろう「劣等感」を刺激するものでもあると考えるのが「べき論」なのではないだろうか、と筆者は思うのだ。「べき論」で「劣等感」を刺激されて「限界を超える」という覚悟の”火”を”弱火”にしてコトコトと煮込むのか、恥ずかしい思いをするかもしれない、失敗するかもしれないという「劣等感」を「べき論」で刺激されたとしても”強火”で炒めて食べるわ!くらいの「限界を超える」という覚悟を持つのか。「限界を超える」という覚悟を持つのなら「べき論」を捨てて事にあたる必要がある。限界を超えたいという状況の際の1つの考え方として以上を提案したい。

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