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生きていく上で必要となる心構えや考え方等を参考にするのはまず1人だけと決める

年齢に関係無く人は時に人生に迷うということがある。「どのように生きていけばいいのか」「どうしたらもっと”気楽に”生きることができるのか」等の「人生の悩み」というものを抱えた時に「人生の師匠」ともいうべき人が1人でもいるだけでも救われることがある。数年前から「スピリチュアル」と呼ばれる精神的な考え方や心構え等の情報発信が台頭したことで、「人生の悩み」等への対処法に関する情報が溢れ返っている。一昔前であれば取捨選択する必要もない程の情報量だったものが現在では「どの情報を信じればいいんだ?」や「どの情報を選べばいいんだ?」といった「人生の悩み」等よりも、「助言やアドバイスをしている人」を探すことの方が「悩み」となっているのではないかと筆者は思うのだ。この文章を書いていて若干だが”本末転倒感”があるのは言うまでもない。「スピリチュアル」に限った話ではないのだろうが、そもそもの話、前提条件として思うことがある。「万人向けの助言やアドバイスがあるのだろうか?」と。または「考え方が似ている人を集めたら、いま起きている”現象”は似たようなものなのだろうか?」と。また別の視点で観ると「人気のある”アドバイザー”」と「人気のない”アドバイザー”」を分けるポイントは何か?等も筆者は思うのだ。”商売”という視点を考えると「人気のある”アドバイザー”」が行っていることを分析して参考にするということは目に見えていると考えるのが普通だと思っている。そうなると「人生の悩み」等も「人気のある”アドバイザー”」が言っていることが”正解”または「”お客様が求めている”助言やアドバイス」ということになるのだから「人気のない”アドバイザー”」が同じようなことを言い始めるのだろう、と穿った見方かもしれないが筆者はそう思ってしまうのだ。筆者は何も良いとか悪いとかの話をしているのではない。筆者が思うのは「人生の悩み」等は完全に個別案件だと考えている。仮に「万人向けの助言やアドバイス」があったとしても、悩みを解決することは無いと考えている。そしてまた上記で述べたような「人気のある”アドバイザー”」の助言やアドバイスが自分が望んでいる解決と合っているとも限らないとも考えられるからだ。いま現在、「スピリチュアル的な考え方や心構え」等の情報が溢れ返っているなかで「自分が望んでいる解決」に繋がる助言やアドバイスを提示してくれそうな”アドバイザー”を探すことの方が困難なのではないだろうか。このような”問題”に対する筆者の考え方は次のようになる。「まず1人。この人の考え方をしばらくの間だけ試してみよう」と試みることを実践してみてほしいと提案したい。そして、実践する上で1番重要となることをお伝えすると「1円足りともお金が掛からないこと」である。1円でもお金を支払った段階で「お客様」になってしまうのだから。

比較するだけの情報が無い時もそれなりにしんどいと思うが、比較する情報が数多ある時はよりしんどいことになる。どれとどれを比較するといいのか?から始まるからだ。基準となるものが無い限り比較することができないからだ。「人生の悩み」に対する考え方や心構えを相談したい、または、相談するまでしなくとも考え方や心構えさえ教えてもらえればと考えている人にとっては、まわりくどいことになってしまう。「人気のある”アドバイザー”」や「精神的なことを説く有名人」等の人を比較して「自分の人生の悩みに対して的確な助言やアドバイスをくれるだろうか?」と考えるのが”普通”ではないだろうか。「人生の悩み」等はほんの些細なことから始まって、小さいことから大きいことまでがある。客観的に観ると”大きさ”がわかるが当の本人にとっては”大きさ”等ではなく真剣に取り組まねばならない”大きな問題”なのだ。そんな”大きな問題”を抱えて相談して助言やアドバイスをもらって頑張っていこう、という心持ちをしている際に”説教”でもされたらどうだろうか。逆に、”あなたは悪くない”ともで言われたらどうだろうか。または、”手放し”等の”専門用語”を駆使されて否されたらどうだろうか。「有名人なのかもしれないけど、自分には合わなかったな」と思ってふと気づくのではないだろうか。「結局、人生の悩み、考え方や心構えは教えてくれなかったな。もっと”具体的”なこと知りたかったな。」と思うのではないだろうか。思ったところで「人生の悩み」等に対する”具体的”な考え方や”具体的”な心構えを知るために行動して相談したのにも関わらず「知らないという状態のまま」なのだ。「人生の悩み」等に対応する考え方や心構えに関することを「知らないという状態」から「知っている状態」にする為の打開策を得る方法の1つは「まず1人。この人の考え方や心構えをしばらくの間だけ実践してみる」と決めることにある。上記で述べた「基準をつくる」というところから始めるのが効果的である。「情報が溢れ返っているから1次ソース、簡単に言えば『誰が最初に言ったのか?』を調べてその人をまず1人として決めたらいいんじゃないの?」と考える人がいるだろう。筆者の考えとしてお伝えするなら「理解しようとするのか、実践しようとするのか、をまず試される」はずだ。これは一昔前で言うところの「師弟制度」に似たようなものだ。よく聞く文言に次のようなものがある。「師匠が白と言えば(弟子も)白(と思わなければならない)、師匠が黒と言えば(弟子も)黒(と思わなければならない)」ということだ。「知らないという状態」から明確な1つの基準、正解か不正解かもわからない状態に1つ基準を決める、という『実践する』ということを求められる、ということになる。「納得する、納得しない、ということじゃなく、とりあえずやってみる、ということですか?」ということだ。考え方や心構えというものは自分がやってみてわかっていくしかないようなことなのだ。そんな時に上記で述べた「お金を支払って」となると「お客様」になるのだから「弟子」ではなくなる、そうは思わないだろうか。「弟子」になるのか「お客様」になるのか。「人生の悩み」等に対応する考え方や心構えを身につける、という観点でみた時に「弟子」または「お客様」のどちらが身につくだろうか。

「お客様」という立場であれば助言やアドバイスをしている人が複数であっても何ら問題は無い。複数人からの助言やアドバイスを貰って自分で咀嚼して解釈して自分なりに答えを見い出せばいいからだ。でも、「お客様」という立場で「人生の悩み」等に対応する考え方や心構えを身につけようとしたら、頂いた(または購入した)助言を全て実践しようとするのだろうか?と筆者は思う。簡単な例を挙げるなら、ダイエットに効果的な方法を片っ端から試してみるということと似てはいないだろうか。ダイエットにしても「お客様」である以上は「お客様」のままなのだから。実践方法等を実際に行うというのは「弟子」になるということと似ていないだろうか。もしかすると自分に合わない方法かもしれない。しかし、もしかすると自分に合う方法なのかもしれない。他の方法を試してみたい時は「弟子を卒業する」時ではないだろうか。このような考え方をすると、「人生の悩み」等に対応する考え方や心構えを身につけようと真剣に考えているのなら、まず1人、「師匠」と個人的に呼べる人を決めて、その「師匠」が言っていること、実際に言っていることや、書籍等に書かれていること等を実践する方が身につくのではないだろうか。実際に「弟子入り」するような時代では無くなったのだから、自分のペース、自分の日常生活のなかで出来る範囲でコツコツとやってみるだけでもいいのではないだろうか。自分が何かを身につけたいと考えている時は「お客様」になるのか「弟子」になるのかを見抜いてみてほしい。そして、まず1人「師匠」を決める。そこから始めてみることを検討してみてほしいと提案したい。

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